号泣する準備はできていた、
本当はこのタイトルを一時帰国のときのことを書こうと思って、取っておいたブログのタイトルだった。
でもその時、本当にバタバタしてて、振り返りとかそれどころじゃなかった。
途中まで全然別の内容で書いていたんだ。
でも、その内容なんかよりも、このタイトルがぴったりの出来事が起きてしまった。
このタイトルがずっと心に引っかかっていたのは、
あのときこのタイトルでブログを書くことができなったのは、
きっとこのときのためにあったのだろう。
号泣する準備はできていた
江國香織さんの短編小説のタイトル。たしかこれで、直木賞を取ったはず。
高校生の頃かな。このタイトルに惹かれて、その上なぜか家にこの本があった、親にはまだ早いよと言われながらも背伸びしながら読んだ本。
たしかに難しくて、わたしにはまだ理解が難しかった。
1年ほど前、またこの本を今住んでいるところで見つけた。
今ならわかるかなと思ったけど、10年ほど経った今も内容はわりと難しく、理解し難い内容も多かった。
もっと大人な恋愛や結婚をしなきゃわからない気がする。
ならきっと、わたしにはずっとわからないだろう。
でもこの、タイトル
号泣する準備はできていた
というフレーズがとても好きなのだ。
もう全ていろいろわかってて、でも、表には出すことが難しい、そういう大人に、なってしまっている。
そう、準備はできていたのだ。いつだって。
タイへの出張を終え、精神的にボロボロになりながら迎えた一時帰国。
もうあの場所へは戻りたくないと心底思いながらも、
両親がわたしが住む国に訪れる予定だったので、仕方なく両親とともにニュージーランド旅行、そしてわたしの住んでる島、首都のアテンドをして、そのあとは首都で会議があり、息つく間もない1ヶ月ちょい。
やっといつもの生活が戻ってきた、はずだった。
活動に行きたくないと心底思いながら迎えた1/20の日曜の夜、急にネットが途絶えた。
明日にはきっと戻るだろう。明日朝起きたらネット復活してたら、活動行くのやめようかななんて思っていたくらい、いつもよくあることの一つの出来事のはずだった。
朝起きてもあれ?まだネット繋がらない。仕方ない活動行くか…くらいな感じだった。
ネットが繋がったら活動へ行かないなんて、甘ったるい考えをした罰が当たったのか、それがこんな事態になるなんて。
ネットの不具合は、まさかの国全体で、ネットのサーバーのダウン。
約1週間、全くネットが繋がらなかった。日本じゃありえない、あり得るわけがない出来事だった。
超短時間なら繋がるときもあるという情報を1/24木曜日の夜に得て、そのときから家のWi-Fiを入れておいたら、1/26土曜の朝、本を読んでいたら、ピロンと久し振りに聞き慣れた音が鳴った。は!!!!!っとなって、慌てて携帯を見た。
繋がってる!今だ!!!
兎にも角にも、最初に見たのはツイッター。1/22火曜日くらいに、あれ?もしや嵐のand more…の詳細きてるんじゃ…やばい、これは。と気づいたのだ。
そのときには、ネットが復旧するのは2〜3週間後という噂すら聞いていた。
もし、月曜日に申し込み始まってたら、ネットが復旧するまでに申込期間終わる可能性もある…これはまずい。せっかく10月に帰れるのにand more…に行けないなんてありえない。
そう思ってたわたしは、とにかくツイッターを開いて「嵐 申し込み」と検索した。
そしたら、幸運にもまだ前日に申込詳細が来たばっかりだった。でもいつもと申込方法が大幅に変わっており、名義の振り分けもしておいたのにパーになった。
とりあえず、名義を預けてる友達に用意しておいたLINEを送った。来てたLINEもばーっと見て、なんとかツイッターで今の状態を打って、伝わるかわかんないけど。それくらいで15分弱。
ネットはまた切れた。
この話を同じ島のコたちにしたら、笑われたけど。とにかく、なによりも嵐が大事。嵐に会えないなんて無理。いや、当たるかは知らんけど、まじほんと応募さえできなかったら、ここにいる意味無くすからね。笑 日本と真逆の環境にいるのに、そこが根本にある自分でさえ、呆れるけど。
それからもほんの数秒や数分、繋がったりは数時間に一回くらいあったけど、せいぜいLINE受信が精一杯。
ツイッターなんて見れなかった。
そう、まさか、わたしが世界から遮断されてる間に、
あんなことが起きるなんて、夢にも思ってなかった。
1/28 月曜日午後3時30分過ぎ。
金曜日から張り付くほど見ていても、繋がらなかった活動先のパソコンのネットが繋がった。
繋がったことに驚きを隠せなかったし、喜びでいっぱいだった。
ツイッター中毒なわたしは、ツイッター見なきゃ!と思って、るんるんでツイッターにログインした。
時間がかかりながらもツイッターに繋がった。
TLを見た瞬間、入ってきた言葉が
「#大野くんの夏休み」というハッシュタグだった。
うん???
ってなった。
ちょっとみると、嵐が活動休止とか、会見、嵐らしい、
とか書いてあった。
え、ちょっと、どういうこと??なに?また文春?嫌だなーそんなまた悪いジョーク。
となんて思っていたら、フォロワーさんたちがみんな泣いていたし、悲しんでいた。
会見ってなに?
ただでさえ、このネット環境が劣悪な中、画像なんて重くて読み込めないよ、動画なんてもっての外。
てか、活動休止って嵐が??
あの嵐が???
いつから?待って。
大野くんの夏休みなんて書いてあったから、さとしくんだけ??
え、and more…は??
え、え、え、、、、、
必死にクリックして次を読み込みたいのに、ネットは一向に読み込まない。
詳しく検索しようと思ったのに、海外製で日本語が打ち込めない。手が震える。
気づくと涙しか出てこなかった。
いつから休むの?いつまで休むの?みんな芸能界からいなくなるの??個人の活動は???
ねえ、なんで活動休止しちゃうの。
自分だけ、わけもわからず世界から取り残された気分だった。
ていうか、わたしなんでここにいるの、
日本に帰りたい、帰らなきゃ。
嵐の全てを見届けなきゃ。コンサートに入る入らないとかそういうのじゃなくて、
テレビもラジオも雑誌も、そういうのも全部全部買ったり、読んだり、アンケート送ったり、要望出したりしなきゃ。
ここになんていちゃいけない。
日本に帰らなきゃ。
でも、それでわたしは本当に満足するのかな。
何年か後、どこかでとても後悔する気がする。
途中でやめたことを。
わたしとって、嵐はとてもとても大きいもので、この生活を本当に支えられている。
だけど、自分自身のためには絶対にならない。そして嵐に笑顔で会うことなんてできない。
ここで帰ったって、コンサートに全部入れるわけじゃないし、
嵐に泣きつけるわけじゃない。
いつまで彼らが表舞台に立ってるかわからないけど、
誰かのつぶやきで2年後彼らがいない毎日が訪れるって書いてあったから、2年後かもしれない。
なら、なんとかなる。彼らにちゃんとありがとうって言える。
気づくべきだった。
20周年だからって、50公演なんてやる異常な数に。
そして申し込みの、異常な厳しさに。
どれだけファンみんなを入れてあげたいんだろうか。
嵐ってこんなにファン想いだったんだ。
だなんて、あの日曜の夜、ふと見たくなった「untitled」を見ながら、考えて一人で完全に浮かれてた。
今は、「嵐 活動休止」いう言葉に触れた瞬間泣いてしまいそうだ。
その事実を知った後から、気づくと外を眺めて、ぼーっとしながら、どうでもいいことを考えた。
いつもは使わないような文明の進んだおもちゃで遊ぶ子どもたち。そんな珍しいものどこで手に入れたんだろう。
どこかから逃げてきたであろう、ヤギの群れ。あーどこへいくんだろうと笑った。
そうでもしないと、何かに突然襲われたように、ぶわっと泣きそうになる。
現地人の前で泣いたら、不審がられるし、説明できないし、娯楽というものを知らないこの人たちに、これを説明したところで、理解などされるわけがない。
この気持ちを少しでも誰かに放出したいのに、ネットが繋がらない。LINEもメールもツイッターもできない。
ヲタクじゃないとわからない悲しみ、痛み。
ねえ、本当にあなたたちはいなくなっちゃうの?
会見の日の朝、日本ではまだ真夜中だけど、青木アナのツイッターの通知の意味に気づかなくてよかった。
家を出ようとした瞬間、通知だけがきた。
繋がったか?!と思った次の瞬間にネットが繋がらなくなってる現象なんて、この数日で10回はあった。
でもそのときに朝までのTLが運良くよく読み込まれていて、少しだけ見ることができ、状況を少しずつ把握することができた。
#大野くんの夏休み
のハッシュタグの理由がわかった。
そして、まさか、この話が始まったのが、わたしがまだ日本を発つ前だったことを知り、衝撃を受けた。
たしか、さとしくんのラジオ終わったのってその年じゃなかったっけ。
それもきっかけの1つかもしれないな。
あのラジオにはすごい救われたもん。懐かしいな。
海に行きたい。
チョコレートが食べたい。
そう思いたって、出かけた。
綺麗な海が見たい
と思って片道50分もかけて歩いたのに、完全に干潮だった。海感がゼロだった。
帰り道にチョコを買ったけど、パッケージに惹かれてなぜか買ったのが、製菓用チョコでほろ苦かった。
あ、全然頭が感情に追いついていないんだなって気づいた。
本当に嵐の活動休止に落ち込んでるんだって、そのときにやっと気づいた。
でも正直言って、さとしくんがきっかけでよかった。
何年の休止なのか、無期限休止なのかしらないけど。
ほかの4人が発端だと、もう嵐は嵐に戻らない気がする。
でもさとしくんなら、戻ってきてくれる気がするから。
ふわっと、戻ってきてくれる、そんな気がする。
そんな気がするのは、わたしだけなのかな。
「さとしくん、クジラを見に来ませんか?」
ありえないけど、もし声をかけられるなら、今、さとしくんにこの言葉をかけたい。
あなたのことなんて、誰も知らないような、
名前くらい知っている人が、ほんの数十人しかいないような、
今わたしがいるような国にぜひ行ってほしい。
自由になってほしい。
ふと音楽が聴きたくなって、いつもは聞かないような曲を上からなんとなく聞いていってた。
aikoの曲を聴きだしたときに、
「あっ」と思ってしまった。
愛だけは と 蒼い日
聴いた瞬間、後悔をしたけど、止まらなかった。
《好きな気持ちの形変わっても 一生変わらないでしょう 例えばそれがボロボロでも みんなが笑っても 変わらない この愛だけは》
《あなたのその目の輝きも あたしの夢も それぞれある 道のりも 遠回り月明かり迷い 下を向き涙こぼれても 必ずいつかまた会える 必ずいつか重なる
少し離れるね 元気でいようね 》
声をあげて泣いた。
もう涙なんて出ないかと思っていたのに。
わたしの20代は彼らで溢れていたのだ。
aikoは前の出来事に引きづられて好きでいた気がしてたけど、
どこかで彼らとも、
絶対に現実的に向き合えない彼らとも、
重ねてしまっていたのかもしれない
ここからは、わたしの独り言。
ツイッターに書きたかったけど、ネット繋がらなくて、ダメだったから。
2年あるというのは、彼らの優しさなのか。
たしかに、明日から活動休止です。と言われるよりはいいのかもしれない。
でも毎日、彼らが活動休止するのかという落胆に打ちのめされながら、約2年間を過ごすのは結構辛い気がする。(28.01.19)
いつだって、脆いのはみなとくんの方だと思っていた。
嵐は大丈夫。そんな風に簡単に考えていた。
でもきっと、そんな考え甘かったんだと思う。
いつだって、いなくなることを知るのは、突然だ。(29.01.19)
スタッフさんからの電話で活動のことだけだと思ってたのに、まさかの嵐のことを言われて、たった、嵐ってワードを聞いただけで、電話越しで泣いた。崩壊しそうだけど出張のこともあるし頑張ります。って答えたけど。だから日本人に会いたくなかったんだよなあ。(29.01.19)
カラオケ行きたい。aikoのバラードガンガン歌いたい。今も家で一人で、あなたを連れて蒼い日愛だけはを大声で歌っていたけど。大家さん帰ってきたばっかりでびっくりだっただろうな。日本語わからないからこういう時有難い。(29.01.19)
ネットが少しずつ良くなりそうだ。でも本当の事実を知り、理解してしまったら、また泣いてしまう。すでにお腹痛い。(30.01.19)
20周年終わったら休止とか言わないよね、そんなことあるわけないか。言葉にしたら現実になりそうだと思ったから、やめておこう。と何回か思ったことを今更思い出した。だからなんだっていうんだけど。(30.01.19)
別に誰かを責めるつもりもないし、誰が悪いというわけでもない。彼らの人生なのだから、彼らの好きにしていいとも思う。でも悲しいものは悲しい。切ないものは切ない。ただ、それだけなのだ。ただそれだけ、(31.01.19)
怒涛過ぎた1月が終わり、2月だ。朝起きるたびに、そっかあ活動休止するのかあ、、、となってる。最近ちゃんと寝れてなかったのか、昼前に帰ってきてから3時間も昼寝してしまった。めっちゃ暑い。夏だ。(01.02.19)
でもまだ夢のように思う。会見も見れてないからか、わたしが日本にいないからなのか。彼らがいない日々が訪れることが、まだまだ実感できず、涙を流す日々は続くのだろうか。(01.02.19)
嫌なことがあったときとか仕事でやるせないことがあったときとか、2年後、あー嵐に会いたい!って思っても会えなくなるのか。精神的に支えられ過ぎてた。みなとくんとはまたちょっと違くて。(01.02.19)
2月2日
朝起きたら、ネットが繋がったという知らせが。
ツイッターも開ける。さくさく見れる、感動!!!!笑
ネットに繋がるのが久しぶり過ぎて、逆に何をしたらいいのかわからない状態だった。
FCのページ開いて、動画見ようと思ったけど、それはまだ重くて、見れないようであった。
でも下の、一人ひとりのコメントを読んだ。
その後、ツイッターを検索し、会見を見た。もう何をどうやったらいいのか分からず、会見を全てを見たい。と思ったけど、時間が経ち始めており、ちゃんと見れたのか分からない。
Mr.サンデーは全部見たと思う。他にもおすすめあったら教えて←
zeroも見たし、enjoyも読んだ。
そのあと、やっと今日、
VSやしやがれの前の挨拶もMステも、番協の様子も読んだ。
涙なしでは何一つ見れなかった。
でも、会見がエイトの時のように、みんな暗いスーツを着て、机に離れて座り、話すものだと思っていたから、
画像を見た瞬間、本当に心から驚いた。
パステルカラーの衣装で立って話すだなんて、ほんとに明るい、会見にしたかったこと。嵐がまだまだ前しか向いていないことを物語ってる気がして、そこだけはすごく救われた。
みんなが"嵐らしい"会見だった。
っていう口々に言っていた意味も納得できた。
同じ島の後輩隊員も会見を見たらしく
「全然部外者だけど、ほんとに心温まる会見でした」
と言われて泣きそうになったけど、ぐっと堪えた。
これは会見を見る前に、読み込まれていたツイッターだけを読んで思って書いておいたこと。
ツイッターを見てて、たしかにそうかもなと思ったのが、嵐の冷却期間説。
嵐に頼り過ぎていたんだ、事務所はもちろん、日本全体も。普通なら人気が落ち着いてくるはずなのに、ほとんど変わらない。
こういう、休止という形をとらないと、無理だったんだと思う。
さとしくんを除く、他4人はワーカーホリックだから、おそらく仕事なんて自らは減らせない。
大きく体調を崩す前に、嵐が嵐で無くなる前にこの決断をしたのは仕方なかったんだと思う。
でも、zeroを見て、引っかかったことがある。
去年の6月に事務所の方々に、話してから休止が浮上したということだ。
じゃあそれまでは?
《5人じゃなきゃ嵐じゃない》
といい続けてたんだから、きっと彼らはそれぞれの道を選ぶ予定だったのかもしれない。
それでもいいんだ。
今はそうじゃないんだから。
正直、まだまだ前向きにはなれないも思う。
毎日泣いてるし、ちょっとしたことですぐ涙が出てくる。
嵐はわたしのジャニーズの根本であって、どんなにいろんなジャニーズに沸いても、Jr.に沸いても、戻れる場所があったから好きでいた部分がある。
もちろん、みなとくんの活動が始まれば、きっと前のように変わらず、いや、それ以上に応援するだろう。
でも、ふと振り返った時に5人がいないのかと思うと。
これを書き上げる最後に、Mステを見て、本気で泣いた。
ああ、この人たちが好きだ。
ずっとこの人たち以上のアイドルには出会えない。
こんなに想って、こんなに泣くことができるアイドルにはもう二度と会えない。
恋でも、愛でも、表すことができない、
この気持ちは一体なんなんだろうか。
アイドルでいてくれてありがとう。
嵐でいてくれてありがとう。
出会ってくれてありがとう。
これからもよろしくお願いします。
何年先かわかんないけど、
さとしくんが
「またアイドルやりてぇな」
っていつか釣りをしながらでも思ってほしい。
そのときをいつまでも待っているからね。
.